参議院第154回国会 災害対策特別委員会 第5号
平成14年5月29日(水曜日) 午後1時開会
本日の会議に付した案件
○災害対策樹立に関する調査
(東海地震等の災害及び防災対策に関する件)
(特別委員会開始から解説部分まで省略:全文は参議院HPのここから)
○委員長(加藤修一君) 次に、塩坂参考人にお願いいたします。塩坂参考人。
○参考人(塩坂邦雄君) それでは、東海地震の最近の状況と浜岡の原発に関して説明させていただきます。
レジュメにありますように、大きくは五項目の話を進めたいと思います。
最初は、まず、明日来てもおかしくないと言われて二十五年たっておりますけれども、これは我々の人間の尺度と地球の年齢がかなり違うものですから、明日というのが、たまたま計算してみますと、地球の年齢が四十五、六億年あるんですが、一月一日に地球が生まれたとしますと、人類なんというのは十二月の三十一日の八時半ごろということで、百歳まで必死に生きましても〇・八秒という非常に短い期間です。
石橋さんという方が最初に提言されたんですけれども、その当時、私どもは二十世紀中は地震は来ませんと。逆に今世紀中来ないというのもある種予知ではあると思います。
それから、地震の予知といいますと、いつ、どこに、どれくらいの地震が発生するのかという形で予知をしなくちゃいけないということで、二番目は、今日一番述べたいのは、今、東海地震の発生のメカニズムというのが二十年ほど前に出て、ある種定説のように動き出しているんですが、最近のデータを見てみますと、いろいろの矛盾点がありまして、私どもはそれに対して二十年ほど前からちょっと違うんじゃないかという提言をしております。
それを、今度は三番目では、その証拠を駿河湾の一番北の部分で、陸上で実証しております。実証しただけでは問題がありますので、そこでは二十年間、最初は手で測っておりましたけれども、最近は一時間に一回レーザー光線で二点間の距離を測ってひずみの変化を調べております。その辺を今日の限られた時間の中で説明させていただきたいと思います。
では、OHPをお願いいたします。(OHP映写)
ほとんどマスコミ等で定説になっているというのは、まず南海トラフから駿河湾のトラフを通りまして、田子ノ浦に上陸しまして、箱根の北側を通って、相模トラフにつながる、これがフィリピン海プレートであると。特に、伊豆半島が西側に、東から西に潜り込んで、静岡から御前崎、この部分が跳ね上がるんだというのが一つの定説として動いておりました。私どもはそのときからどうも違うなと思っておりまして、南海トラフというのがここにありまして、その延長に伊豆東方線というのがあるんですけれども、むしろここがプレートの潜り込みの場所であって、これ自身もここでは左横ずれに断層が切っておりますということを根拠に陸上部で調査を開始したわけです。
もう少し今の場所を立体的に示しますと、いわゆる定説は、このフィリピン海プレートが潜り込んで、ユーラシアプレートがここで跳ね上がるんだというのが、これは南海トラフです。その延長上が駿河湾の真ん中を通りまして、富士山の南を通って、こう行っているんだと言われていたわけです。じゃ、ここの部分が陸上ですから、その証拠があるだろうかということが一番実証しやすいわけですので、そこで調べたらそうではなかったということです。
ちょっと見にくいんですが、駿河湾の中も二千メートルから二千五百メートルの深いトラフになっておりますけれども、むしろこちらに潜り込んでいる状況は見られずに、直線的な世界でも有数な深い駿河湾の海溝になっています。
これは水路部の超音波ないしはエアガンを使った反射法でやったものですけれども、これは駿河湾の海底です。こっちが伊豆半島、こっちが静岡側になるんですけれども、ここの部分は水平な堆積物がたまっております。こういうところにこういう地質の構造が見られるんですけれども、ほとんどこういう、こっちに日本平というのがあるんですが、これは石花海というものですけれども、そういうドーム状に隆起したものがたくさん見られまして、これらも、こういう地層はむしろ垂直の断層で切られております。こちらに潜り込んでいるという現象は見られません。
そこで、基本的な考え方は、この部分が跳ね上がるんではなくて、むしろ南海トラフで潜り込んで南東方向には跳ね上がりますけれども、こちらは前へ出てくる、ないしは左横ずれと言うんですけれども、この部分が前に出てきながら上がってくるというふうに考えています。ですから、ちょうど、想定震源域が最近変わったんですけれども、むしろナスビ形に、私どもが提唱したものに近くなっているはずです。ちょっとピントが申し訳ないんですけれども、当初の想定震源域というのはこのような台形でした。最近見直されたのが、むしろここのようなナスビ形であります。
それで、駿河湾の海溝から真っすぐ北に上って、じゃ陸上はどうなっているんだろうかと調べてみますと、ここのところに私と当時の東大地震研の恒石君と一緒に発見したんですけれども、ここに富士川断層という活断層があると。これは、ここにありますように、国道一号線、新幹線、送水管、それからJRの東海道本線、それから国道、東名、あと第二東名という形で日本の大動脈がすべてここを通っております。
ここで、いろいろな歴史的な事実をまず見付けることができました。それで、後でまた詳しく述べますが、今この富士川町の役場、それから富士市、それから富士宮の東高校というところで、この断層をまたいだ距離を二十年間測り続けております。今は一時間に一度測っております。
それで、どんな、じゃ歴史的な記録が残っているかといいますと、安政東海地震のときに、この断層の西側、ここの部分に蒲原地震山という山ができ上がりました。それから、もっと分かりやすいのは、国道一号線のところに富士山の溶岩がございます。これ海抜二十メートル付近です。これが、こちらに富士山の溶岩が流れてきたんですけれども、断層の東側では百から百二十メートル地下にあるということで、ここでも垂直変位が十分見られます。それから、ここには雁堤という三百年ほど前に造られた堤防があるんですけれども、それが当然安政の地震を受けていますので、その変位がここで証明できます。
これは二十年、国土地理院じゃなくその前ですね、二万分の一の地形図ですけれども、ここに山が突然でき上がりました。それから、ここには堤防の跡がありまして、だから富士川はここを流れていたわけです。ところが、安政地震でこちらが上がりましたので、東側に移行して、蒲原町では言い伝えがありまして、地震さん、地震さん、また来ておくれ、孫子の代に二度三度というような言い伝えもございます。
これは、川底に出ている溶岩なんですけれども、約一万三千八百年ぐらい前の溶岩です。本来であれば富士山から流れてきた溶岩ですのでこの辺になくちゃいけないんですけれども、断層をまたいでこちらは地上にあります。これだけの垂直変位があるということが証明できます。
これは、東海道は当然、江戸時代も大変な要衝だったものですから、これ、今の場所を逆さに見ております。こちらが川上、上流側になります。これ川なんですけれども、ちょうど断層はこの辺を通っておりまして、こちらは河原高し、つまり川底が三メートル上がりました。それで、今ここに洪水が起きた記録が残っています。これが東海道です。
先ほどの雁堤という堤防なんですけれども、ちょうどこのところがくの字に曲がっておりますけれども、ちょうど断層がここを通っておりまして、こちら側は南へ、こちら側は北へ動いた結果、こういう変形が現れています。そのまた延長に水路があるんですけれども、この水路も江戸時代に造った水路なんですが、ここでもこういうふうにくの字に曲がっていまして、断層はこの位置を通っております。ですから、こちら側は南へ、こちらは北へ動きました。
そこで、先ほどの場所、断層が特定できましたので、そこをまたいでレーザー光線で距離を測っております。これは一九八一年からずっと測っているんですけれども、一番気になりますのは、この最後の二〇〇〇年の六月ぐらいのところから急に曲がり出しました。伸びる部分と縮む部分なんですけれども、一番気になっているのがこの二〇〇〇年の六月のところです。
それで、これは、恒石君が台湾で、花蓮というところがあるんですけれども、ここで同じシステムで測っていたんですけれども、多分これは、地球の中でフィリピン海プレートでこれだけのデータが取れたのは初めてだと思います。
これは、一九九一年から測っておりまして、二点間の距離です。ここがゼロとしますと、二点間の距離がぐっと縮まってくる、このカーブが現れると必ず地震が起きます。この場合はマグニチュード五・六です。それから、ずっと来てこういうところで地震が、約二か月ほど前にカーブが現れて、ここで地震が起きておりました。ところが、今度の台湾大地震は、これから九十キロぐらい西に離れておりましたので、むしろそれは予知できませんでした。ところが大変なデータが取れたのは、よく見ると、一九九四年の年末から地震の起きるまでの間、この間が約五年なんですけれども、フィリピン海プレート型の地震では、こういう五年ぐらいの圧縮が行われて地震が発生しているというのは、逆にこれで分かってきました。
それから、東海地震の歴史的な復元をしていきますと、いろいろな地震があって、百四十七年の間があったり二百九年があったり百六十年があったり、いろいろなんです。平均すると百七十四年ということなんですけれども、安政東海地震と周辺の動きがどうも気になるのが連動してきまして、一八三三年に山形で起きて、四七年に善光寺で起きて、小田原で起きて、安政東海地震が起きているんですね。それと同じような繰り返しが、日本海中部地震が一九八三年に起きて、伊豆長岡で、余り大きくなかったんですけれども、九七年に起きています。そうすると、この間が二十一年なんですね。そうやって計算していきますと、一応このようなシステムで来るとすると、二〇〇四年以降、非常に近い時期だというような計算になるんですけれども、ただ最終的には、今私どもがやっているレーザー光線で距離を測っておりますので、そこで事前に、直前の予知をする必要があるかと思います。
そういう中で、最後申し上げたかったのは、たまたまそういう震源域の真上に浜岡の原発がございまして、今、偶然一、二号機が止まっているんですけれども、それをやっぱり三か月ほど前に燃料棒を抜いておかないとメルトダウンに入る可能性があります。したがって、直前予知の分かった段階では、是非燃料棒を抜いておいていただければと。そうしないと、災害の大きさというのは当然、余り東京の方は意識しておりませんけれども、偏西風を考えますと首都圏の方がむしろ放射能の影響を受けるんじゃないかと。これは確かに地震の予知というのはいろいろな考え方があります。ただし、安全側に考えると、やっぱり事前にそれを止めておくという必要はあるかと思います。
以上でございます。
○委員長(加藤修一君) ありがとうございました。
(以下略:全文は参議院HPのここから)
|