近づく東海地震
東海地震は、発生時期がもっともよく予測されている地震です。前回の東海地震は、およそ150年前で、地震を起こすエネルギーがたまっています。(図7)
いま東海地震が起これば、兵庫県南部地震の15倍の規模の地震になります。発生が遅れれば遅れるほど、地震の規模は大きくなります。
図7
静岡県内陸〜紀伊半島沖〜四国沖にかけて、フィリピン海プレートが、毎年4cmの速さで、日本列島の下へ沈みこんでいます。そのため100〜150年ごとにプレート境界型巨大地震が起っています。
静岡県〜御前崎沖を震源域とする、巨大地震を東海地震といいます。
伊勢湾〜三重県沖を震源域とする、巨大地震を東南海地震といいます。
1854年に、東海・東南海地震が合体して起こりました。これを、安政東海地震といいます。
1944年に、東南海地震が単独で起こりました。これを、昭和東南海地震といいいます。しかし、「昭和東海地震」は起こりませんでした。
前回の安政東海地震から2004年現在で150年たちました。前々回の宝永東海地震から前回の安政東海地震まで147年でした。地震を起こすエネルギーがたまっています。
ただし、「東海地震は単独で起こる」という考えと、「東南海地震と一体でないと起こらない」という考えがあります。もし、東海地震が単独で起これば、“いま”がその発生時期です。そのエネルギーは、兵庫県南部地震の15倍になります。
もし、東南海地震と一体に起これば、21世紀半ば〜後半に発生します。その場合のエネルギーは、単独で起こった場合の数倍になります。
浜岡原発の位置
浜岡原発は、想定される東海地震の震源域の直上にあります。(図8)
図8
地震の震源は面積をもった断層面です。東海地震では60km×115kmの岩盤全体が破壊されて、ずれ動きます。そのショックが大地震になります。
図9
図10
図9は、静岡県による、東海地震の震度予測です。浜岡原発の位置を書き加えてあります。その下の小さい図10は、兵庫県南部地震の神戸の震度です。どちらも、震度7(建物の30%以上が倒壊)を赤色で示しています。どちらの地図も、同じ縮尺です。
東海地震の規模の大きさがわかるでしょう。
※図8と図9は1976年の石橋克彦さんの震源モデルによります。静岡県は、長い間、石橋モデルにより被害想定をおこなってきました。
その後の阪神淡路大震災の経験を取り入れ被害想定を上方修正し2001年5月に発表しました。
静岡県第三次地震被害想定
一方、東海地震の直前予知をめざした20年以上のデータの蓄積からプレート境界の形が以前より分かってきました。
そこで2001年に国の中央防災会議に16名の研究者による調査会が設置され、12月までに見直し結果が発表されました。
震源断層面は30%拡大し、震度6弱を含む範囲は、茅ヶ崎〜諏訪〜名古屋まで広がりました。(図10-2)
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図10-2
図11
浜岡の地下には、南東側から北西側に、フィリピン海プレートが年間およそ4cmの速度で沈み込んでいます。そのため浜岡の岩盤は少しずつ引きずりこまれていきます。(図11)
図のように浜岡は、20km内陸の掛川とくらべると、毎年5mmづつ傾き下がっています。それとともに岩盤中には年々ひずみがたまっていきます。そして、限界に達したときに一瞬に岩盤が破壊されてずれ動きます。
このとき、いままでの沈降分のほとんどは数10秒間に隆起します。その隆起量は1mていどになると予想されています。
浜岡原発は東海地震に耐えられるか
太平洋のプレートが日本列島の下へ沈み込んでいると考えられるようになったのは、わずかに30年前のことです。地球のことは、まだほとんど分かっていません。
問題は、大地震の震源域であり、その時期が近いと分かっても、引き返す勇気を持てないことです。
1976年
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東海地震説(石橋モデル)が提唱された
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1976年
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浜岡原発1号炉(54万kw)が運転開始
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1978年
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大規模地震対策特別措置法が制定された
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1978年
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浜岡原発2号炉(84万kw)が運転開始
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1979年
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東海地域の6県170市町村が地震防災対策特別強化地域に指定
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1979年
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アメリカ・スリーマイル島原発でメルトダウン事故
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1986年
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旧ソ連・チェルノヴィリ原発で大火災事故
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1987年
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浜岡原発3号炉(110万kw)が運転開始
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1988年
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浜岡原発1号機で原子炉圧力容器配管溶接部から水漏れ
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1993年
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浜岡原発4号炉(114万kw)が運転開始
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1995年
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兵庫県南部地震
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2001年
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静岡県第三次被害想定(5月)
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2001年
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1号炉原子炉底から水漏れ始まる(夏から・発見は11月)
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2001年
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東海地震震源域見直し(8月)
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2001年
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1号炉配管爆発事故・同じ構造の2・3号機も停止
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2002年
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3号機運転再開(2月7日)、1・2号機は停止中
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1.原発の重要な建物は、建築基準法の3倍の強度で作ってあるという
が・・・
通常の耐震基準は、建物が壊れても人命に被害が及ばないことを目標にしています。
しかし原子力発電所では、放射能が漏れ出すことは許されません。
2.「活断層の上に建てない。周辺の活断層を調査している」としている
が・・・
地下の岩盤で断層が生じたり、過去に生じた断層面が再び動くとき、そのショックが
地震になります。
1995年の兵庫県南部地震のとき活動した断層の大きさは、15km×45km。
けれども、神戸では、そのずれは、地表に達していません。
今回の地震を起こした断層は、神戸では見えないのです。(図12)
図12
地表に見えている活断層は、地震をおこすかもしれない断層群の一部にしかすぎま
せん。近くに活断層があらわれているような場所では、私たちが見つけることができ
ない断層が地下にある可能性が高いわけです。
図13
浜岡原発から3〜7kmのところには、活断層が姿をあらわしています。(図13)
浜岡原発は、御前崎が隆起していく折れ目にあります。
原発のすぐ近くに、地表からは見えない活断層がないという保証はありません。
2001年鳥取県西部地震は、マグニチュード7.3の浅い地震ですが、活断層が知られて
いなかった場所で発生しました。
3.「最大の地震に耐える設計」としているが・・・
1号機と2号機の耐震設計は、地震の揺れ(加速度)を最大450ガルまで想定しています。
3号機と4号機は、最重要機器は600ガル、非常用炉心冷却装置などは450ガル
を想定しています。
その理由として、1854年の安政東海地震の揺れが450ガルだったとし、また、マグニ
チュード8.5の地震が限界地震で、それによる最大の揺れは600ガルとしています。
(図14、図15)
図14
図15
しかし、神戸では800ガル以上の揺れを記録しています。
1995年の兵庫県南部地震のとき神戸海洋気象台では、南北方向818ガル、東西方向
617ガル、上下方向332ガルを記録。(図16)
他に、数カ所で600ガル以上を記録しています。
1994年ノースリッジ地震のときシルマーでは、約900ガルを記録しています。(図17)
図16図17
原発の設計は、3〜4号機の最重要機器でも、神戸なみの揺れを想定していません。
非常用炉心冷却装置は、神戸の揺れの半分ていどしか想定していません。
東海地震説より前に建設され、老朽化しつつある1〜2号機では、最重要機器でも、
神戸の揺れ(加速度)の半分ていどしか想定していません。
また、
過去1万年以内に(地表部分が)活動した活断層による地震が
「将来起こりうる地震」、
過去5万年以内に(地表部分が)活動した活断層による地震が
「およそ現実的でない地震」、
というのは誤りです。
1945年の三河地震を起こした深溝(ふこうず)断層の一部は、10万年ぶりに
(地表部分が)活動しました。
4.「堅い岩盤の上に直接建設」としているが・・・
「固い岩盤」と聞くと、普通の人は「固い石」を思い浮かべるでしょう。
ところが、原発の地盤は相良〜掛川層群比木層という400万年前の砂と泥の地層です。
工学的には「軟岩」に分類されます。
「固い石」でイメージされる地層は、南アルプスへ行かないと露出しません。
図18
原発の揺れの計算に使われた震源モデルは、自然の姿をおおまかに理解
するための単純化したモデルです。
けれども、じっさいの東海地震は、何枚もの震源断層が時間差を置いて
動くと考えられています。
震源断層面の真上にある浜岡では、地震波はいろいろな方向から同時に
やってきます。それらは複雑に増幅しあうかもしれません。
震源モデルからの揺れの予測は平均値です。絶対に壊れてはならない原発の想定は、
最大値で行うべきです。
東海地震説の提唱者である石橋克彦神戸大学教授は
「浜岡での地震動の時刻歴や持続時間は、兵庫県南部地震の震度7の地点よりも複雑で、長時間で、はるかに激しいはずである。」
と述べています。(『科学』1997・10月号)
固い岩盤から軟岩へ入るところで地震波は増幅されます。
軟岩から柔らかい沖積層へ入るところで再び地震波は増幅されます。
地下の構造によって地震波は増幅・反射・屈折・干渉を起こします。
地下の深いところの構造はほとんど分かっていない。
神戸では、六甲から大阪湾の底へ続く固い岩盤の形から、場所によって
地震波が大きく増幅されたと考えられています。
また、神戸では強い揺れは10秒間ぐらいでしたが、東海地震の浜岡では2分と
ほど続く考えられます。
5.「重要機器については模型を作って大型振動台で実験した上、コンピュータで耐震解析している」としているが・・・
図19
3〜4号機では、基準地震動の1.5倍までの振動を与える模型実験をしたそうです。
1.5倍というのは、施工の誤差や老朽化を見こした安全係数です。
それを理由に1.5倍の揺れまで耐えられるとするのは誤りです。
また、それぞれの機器は振動に耐えたとしても、機器ごとに揺れ方はちがってきます。
連結部にはげしい力がかかることが考えられます。
原子炉と配管の溶接部が破断したりすれば、恐ろしい冷却水喪失事故になります。
複雑巨大なシステムが、計算どおりに揺れてくれるでしょうか?
おまけに、1号炉と2号炉は、450ガルで設計され、老朽化も進んでいます。
運転開始から20年以上たち、中性子を浴びて、原子炉本体も弱くなっています。
1988年、浜岡1号炉で、原子炉本体に配管が溶接されている部分が、
応力腐食割れを起こしました。
廃炉まで、まったく交換する必要が考えられていなかった部品です。
完璧な施工もありえません。
2001年11月、再び1号炉で、原子炉の底からの水漏れが見つかりました。
それぞれの建物や機器は振動するとき、固有の波長をもっています。
強固な原子炉建屋は細かく振動(周期0.2〜0.5秒)するそうです。
配管は、長さや太さによってちがうが、多分ゆっくりと振動するでしょう。
非常用炉心冷却装置の低圧注水タンクなどは、非常にゆっくりと振動
するのではないでしょうか。
機器の固有の波長と地震動の波長が合うと、増幅されて大きな力が加わります。
神戸では、物が跳ね上がったことが体験されています。
上下方向に重力以上の力が加わると、その物は放り上げられます。
重力加速度(980ガル)を超える力がかかったことはまちがいありません。
図20
図は、コンピータ・シミュレーションですが、神戸では短い振動周期(0.15〜1.2
秒)の構
造物に、重力を超える力が加わり、最大では重力の2倍を超える極めて大きな力がか
かった、という計算結果になっています。
6.被害地震のたびに「発見」される「想定外の揺れ」
図21
1994年1月17日早朝、ロス・アンゼルス郊外で起こったノースリッジ地震では、高速道
路が落下しました。直後に「日本の高速道路は基準がちがうので安全」という宣言が
出されました。
1995年1月17日早朝、ちょうどぴったり1年後、神戸でも、高速道路や新幹線の
高架が落下しました。「考えられない揺れ」だったそうです。
じつは、ノースリッジ地震でも、神戸と同じ800ガル以上の揺れが記録されています。
(図17)
1984年の長野県西部地震でも、跳び石現象の跡が見つかり、重力加速度を
超える力がかかったと推定されていました。過去の地震でも、同じような揺れが
あったでしょう。ただ、人間が測定できなかっただけです。
1964年の新潟地震では、液状化が起こり、アパートが転倒しました。
1968年の十勝沖地震では、垂直方向の力で、鉄筋コンクリートの柱が壊れ、
大学校舎の1階がつぶれました。
1983年の日本海中部地震では、長周期振動という揺れ方があることが分かりました。
1995年のノースリッジ地震、1996年兵庫県南部地震では、重力加速度なみの
地震動が観測されました。
東海地震では、どんな「考えられなかった」揺れが「発見」されるのでしょうか?
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